子どもたちに育んでいきたい「10の力」。その一つひとつを説明いたします。
手は第二の脳ともいわれます。手には知性があるのです。脳科学的にも、手と口(ことば)に関係する部位の面積が非常に大きいことがわかっています。
人類の歴史をさかのぼれば、手はもともと足として身体を支えていました。それが二足歩行になり手が解放されます。さらに親指が分離し、木をつかめるようになります。こうして敵が多い地上を離れることができました。
やがて親指を、他の指に向かい合わせることが可能になります(親指の対向性)。こうして細かいものを「つまむ」ことで、自由に道具を扱えるようになったのです。

子どもの手の発達も「(手のひらで)つつむ」→「つかむ」→「(指で)つまむ」と進みます。こうした発達の順序は決まっています。私たちの園では発達段階に合わせて、適当な玩具で遊べるように心がけています。すると、自発性が促されるのです。
話は変わります。カリスマ塾経営者の高濱正伸氏は『小3までに育てたい算数脳』という本の中で、文章題や図形問題などを解くために求められる「試行錯誤能力」について書いています。
思考力という観点から見た試行錯誤能力では、手を動かして考えているか、という部分が重要なポイントとなります。算数・数学のできる子は、問題を読むが早いか、もう、手が動いています。「手は体の外に出た脳である」という言葉がありますが、その子の頭脳が問題に反応してハイスピードで回転していることが、手の動きからうかがえます。
算数や数学の苦手な子どもの共通点は「自分で図を描かないこと」だと高濱氏は書いています。図を描いてあげて解説すれば理解できるのに、自力で、自分の頭の中に補助線なりをイメージする力が育っていないというのです。そうした数学的センス(算数脳)は小3までがタイムリミットだといいます。ではどのようにしてその力を育むのか?計算ドリルを繰り返してもだめで、それは…
が大切であると言っています。つまり「手で考える力」です。まったく同感です。

ダ・ヴィンチやアインシュタイン、エジソンといった天才は、つねに本の余白に書き込みをしながら読書しました。「手」を使って読むことにより、考えながら積極的な読書をしていたのです。私たちは手をたくさん使うことで、子どもたちの知性に刺激を与えたいと考えています。
よく園の説明会で出すたとえです。子どもの目には「すずめ」が見えます。「カラス」も見えます。しかしその間が見えません。具体的な「すずめ」は認識できても、より抽象的な概念である「鳥」という言葉の認識が難しいのはそのためです。

ではその目に見えない「間の関係」を認識するにはどうしたらいいのか?つまり「抽象的思考力」を育むにはどうすればいいのか?それが、似たものを見つける力(イメージする力)を育む遊びの体系です。その観点で言えば、「象徴遊び」が大切になってきます。象徴遊びの代表的なものが「ごっこ遊び」です。子どもは家で食事を作るお母さんの姿をじっと観察しています。台所にあるこまごまとした道具もよく見ています。そして園に来ます。
そこにはさまざまなおもちゃがあります。「ちょっとお母さんのやっていたことをまねしてみよう…」。豊富なおもちゃが、子どもの想像力を助け、遊びが展開します。私たちは子どもたちの「似たものを見つける力(イメージする力)」をどんどん育んでいきたいと考えています。
発達心理学によれば、抽象的思考力の獲得は図のようなピラミッドで表すことができます。まず一番下の「身体」(手)で思考する時期。中間の「モノ」を通して具体的に思考する時期。そして上層の「シンボル」を扱う抽象思考の時期です。

「手に触れるもの」→「目に見えるもの」→「目に見えないもの」というように「イメージする力」は育まれます。こうした発達がまずあって、その上で、遊び・玩具の選択をしていきます。ここに夏見台幼稚園・保育園の大きな特長があります。
知力とは「類推する力」です。既存の知識をベースに、新しいモノとの間に関連づけをする。つまりイメージをふくらませ、「似たものを見つける」わけです。そもそも、私たちの脳の構造がそうなっています。神経細胞が伸び、シナプス結合をくり返し、脳内ネットワークを作っています。
既存の知識がベースになるので、知識量が多いことに越したことはありません。しかし豊富にある知識を「つなげる」努力をしないと、せっかく身に付けた知識が生かせません。
だからこそ、手を使って試行錯誤することが大切になります。「ちょっとやってみるか!」と意欲的に行動することで、新しい知識とのつながりができます。そんな意欲的な子どもに育ってほしいと願っています。
子どもにけんかはつきもの。ケガはいただけませんが、けんかは自分の意見を主張する場でもあります。小さいうちに小さくけんかを体験しておくことに意味はあります。

けんかをすると「叩かれて痛い」です。「嫌なことをいわれて悲しく」なります。これも1つの体験です。しかしけんかの本当の意義は、むしろその後にあります。「仲直り」です。「謝るときの恥ずかしさ」や「いいよ!といわれて嬉しくなった」ことを実感できます。そして結果的に、けんかする前より仲良くなっちゃった!ことを体験します。「壊れたものは戻りうる」。こうしたことを子どもたち自身で体験する。その積み重ねが、子どもの心を着実に成長させていきます。
「仲直りできる力」とは、コミュニケーションの中でも最高レベルのスキルになります。それは「クレーム処理」の力につながるからです。仕事の中で最もつらいのは、怒り狂っているお客さんへの応対でしょう。人工知能の時代になっても絶対になくならない仕事、それは「謝る仕事」だといわれています。

クレームに臆病になって、心のバランスを崩す人もいます。クレーム処理ができることの前提に「仲直りできる力」があります。小さなうちからの実体験をベースに培うものです。しかしこれは…
(1)けんかをしないと実体験できません。さらにこれは(2)先生が教えられないことです。「先に謝りなさい」「悪いと思ったら素直に謝りなさい」などと口頭では教えられても、実際に体験してみないことには…
積極的にけんかを奨励しているわけではありません。しかし対人コミュニケーションにおける「けんか⇔仲直り」の意義は、ご理解いただきたいと思うのです。これはいじめ問題の解決策の1つでもあります。
いじめは大変深刻な問題です。いじめは小学校3,4年生から目立って起こり(これもまた「9歳の壁」の問題)、中1〜2でピークとなります。いじめ予防は、小学校に上がる前の幼児期までに行うべきでしょう。
ここでは文科省が行った大変有名な長期研究について触れます。文科省のホームページから資料がダウンロードできるのですが以下、そのまとめです(「いじめ追跡調査2007-2009」にて検索)。
この長期研究は大都市近郊のある地方都市で行われました。市内すべての小中学校19校の全校生徒を6年間追跡しています。
特筆すべきは「個人を特定できる形」で調査を行ったということです。つまり、小学4年生のA君が6年間、学校で「いじめ」とどう関わったか。何回、どれくらいいじめられたか、わかるのです。※ここでいういじめとは「仲間外れ・無視・陰口」のこと。
ではここで1つ考えてみてください。小4〜中3の6年間、いじめ被・加害経験者は全児童・生徒のうち何パーセントだったでしょうか?答えはなんと90%!いじめと無縁でいることは難しいのです。被害者は毎回大きく入れ替わります。いじめを受けてもある時期になると止み、また他の誰かが始まります。そんなことがくり返されるということです。誰もが「いじめ」と無縁ではいられないのです。

では小4〜中3の6年間、不幸にもつねにいじめられ続けたのは1000名中何名でしょうか?答えは3名。つまり0.3%の生徒が、残念ながらつねにいじめの対象であり続けたといいます。
いじめっ子になる3大要因もわかりました。

第1位:友人とのストレス。「勉強、顔やスタイルをからかわれた」「悪口を言われた」ということが大きなストレスとなり、他人へのいじめになるということです。

第2位:競争的価値観。「成績、顔やスタイルが悪いとみじめになる」「人より得意なものがないとみじめになる」といったことが大きなストレスとなります。

第3位:不機嫌・怒り。これは最もな理由です。
以上の3大要因のうち、第1位の友人とのストレスは圧倒的要因でした。いじめから守ってくれるのも友達。いじめに加担するのも友達。いったい誰を信じたらいいのか、といった感じでしょうか。
意外だったのは、「親からのストレス」「教師からのストレス」は、それほど大きないじめっ子になる要因ではありませんでした。やはり、鍵は「ともだち」。
将来のいじめ問題に、幼児教育はどう対処すべきか。私たちの解答が「異年齢保育」なのですが、それは「8.人に共感できる力」で詳しくまとめます。
「感情」と「気分」の違いとは何でしょうか?「氷山理論」で考えてみましょう。

私たち心は、ほとんど無意識の中にあるといわれています。「気分」とは非言語の状態で、おおざっぱな「快・不快」と考えられます。「なんとなくイヤ」「なんかひどい気分」という感じです。それを無意識の領域に位置づけます。
そのあいまいな「気分」を言語化すると、「感情」として意識できます。もちろん、感情のコントロールはとても難しいことですが、まずはその感情を認識できないと話は進みません。感情のコントロールの前提が「気分の言語化」なのです。

けんかが起こったとき、ただ行為のみを止めても気持ちの処理は宙ぶらりんです。そんなときは相手の気持ちを代弁してあげて、感情の処理方法を手伝ってあげます。こうしたことを私たちの園では行っています。「相手の気持ちをくむ」ということはコミュニケーションの基本なのです。
例えば、友だちに叩かれて泣いていたA君との会話。
「なぜ?」「どうしたの?」とけんかの原因を追究する前にやるべきことがあります。まず、今のA君の感情を受け止めてあげる。言葉で代弁してあげる。感情の高ぶりは、受け入れられると静まります。問題への対処はその後です。
自分の気持ちを言葉にすることで「たたくのイヤだからやめて!」と表現することも覚えます。

本当のコミュニケーションとは、知識のやりとりではなく、感情のやりとりです。私たちは感情をうまく伝えられず、あるいは、感情をうまく受け止められず苦しみます。
特にけんかが起こったときなどは、感情と感情がぶつかり合い、興奮は頂点に達します。これをチャンスととらえ、感情の処理をお手伝いします。自分の感情を認識し、コントロールすることは、今後の人間関係において、最も大切なことになるでしょう。
有名なマシュマロテストを紹介します。20世紀の最も著名な心理学者100人の25番目にランクされているウォルター・ミシェル教授は、スタンフォード大学に附属する保育園に通う約550名の4歳児にマシュマロを1つ見せて、次のように言いました。

そして子ども1人を部屋に残し観察。選ぶのは子ども自身。その結果は、だいたい1/3ずつに分かれたといいます。
(1)我慢できずにすぐ食べてしまった (2)何とか15分間持ちこたえた (3)最初は我慢したが15分待てなかった
(2)の15分間持ちこたえた子どもたちは、目の前のマシュマロを食べたい気持ちを紛らわせるために、さまざまなことをしました。歌を口ずさんだり、机の下にもぐったり、目をつぶってみたり…。そうして自分で自分の感情をコントロールしていました。
この実験はここで終わりません。このマシュマロ・テストが開始されたのは1969年のことです。そして実験は現在も継続中なのです!なんと、この4歳の子どもたちの「その後」が追跡調査されているのです!まずは20歳のときの学力の差です。

SAT(大学進学適性試験)は日本のセンター試験のようなものです。マシュマロ・テストを受けた子どもの16年後の試験結果によると、15分間我慢できた子どもは、30秒しか我慢できなかった子どもに比べ、「言語分野」「数量分野」ともに大きな差が出ました。総合で210点にもなります!(センター試験で210点差がついたら大変です!)この結果から次のようなことが言われました。
感情をコントロールできない、つまり心が落ち着かないと、勉強に集中できません。その結果、学力は伸びないのです。これが「ごほうびを先伸ばす力」です。先生に言われるのではなくて、親から強制されるのではなくて、自分の意志で切り替えることが大切です。
さらに実験は続きます。その子ども達が30歳になった時、図のような傾向が見られたといいます。

さらに40歳を超えた被験者たちの脳画像解析も行っています。マシュマロを我慢できなかった人の脳には、薬物依存者に似た脳の欠損が見られたということです(「マシュマロ・テスト」W・ミシェル著、早川書房)。
これが「自律性」です。自律性の芽生えは幼児期にあります。私たちは、自分で選ぶ・自分で決められる子どもを育んでいきたいと考えています。
私たちの園では子どもの「自律性」の芽を育むことを大切に考えています。南部名誉園長はそれを車のブレーキに例えます。
子どもたちを待ち受ける3つの選択。1.学校を選ぶ 2.職業を選ぶ 3.配偶者を選ぶ
こうした選択を、他人任せ(=他律)にせず「自分で決めること」は大切です。「自分自身で選んだのだ!」という自覚です。自分の人生に責任を持つとはそういう意味なのです。
※ところでこの「自律性」は「非認知能力」の代表的なものとして、今世界の教育界で注目されています。「非認知能力」とは「認知能力(つまり知識偏重)」に対する言葉で、ごく簡単に言うと「心が大事」ということです。それをノーベル経済学賞をとったヘックマン教授が主張したことで、先進国各国では、幼児期から「非認知能力」を育むことに力を入れ始めています。
では私たちの「心」とはどのような手順を踏んで育まれるのでしょうか?心理学者エリクソンのライフサイクル理論を紹介します。

心の成長とはその時その時の「発達課題」の積み上げである、といわれます。赤ちゃんの時期は「基本的信頼感」。まずは安心を与えることです。その安心感を土台として、幼児期(前期)には「自律性」を育みます。
自分でやってみたい → でもできない → それでもやってみたい…こうしたくり返しの中から、トイレ・トレーニングなどで(自分でできた!)という経験を積みます。できることが少しずつ広がり、自信がでてきます。「自主性」を育むときです。
幼児期には「自律性・自主性」といった個の芽生えを大切にしたいものです。その次の段階で、小学校では「勤勉性」を育むのです。
ところで、幼児教育の現場では「一斉保育」が主流です。学校でのお勉強に備えて、いち早く「勤勉性」を育もうとします。
しかし心の発達には順序があります。「個から集団へ」という流れです。私たちの園では、発達段階に合わせた遊び・玩具の環境を整え、個々への対応を中心とした保育を行います。これを「設定保育」といいます。一斉保育も行いますが、子どもの「自律性・自主性」を育むには、個への対応や小集団での保育の方がより望ましいと考えています。私は時々、卒園児の保護者から小学校でのようすを伺います。園での教育の成果はどうなのかと。すると、
といったことをよく耳にします。嬉しい限りです。本当に満足した子どもだけが意欲的になれます。主体的に遊び込むことで、健康的にエネルギーが発散され、心が安定します。これこそ、最高の勉強へのレディネス(準備性)なのです。やがて子どもは成長し社会人になります。自律性とは「習慣を作る力」と言い換えることもできます。
有名な経営学者のドラッカーは「知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、習慣的な力に欠ける人は成果を上げることができない」と著書に書いています。自らを律し「習慣を作る力」は大切な社会的スキルでもあるのです。
「人を尊敬できる力」とは能力です。しかも最上位に位置づけられる社会的スキルだと私は断言したいのです。それは以下の3つの理由によります。
1つは「内的基準」。誰も見ていないところで孤独な判断をしなければならない局面は必ず訪れます。いじめの問題もその1つかもしれません。決断を避けたり、逃げたりせず、困難に向き合うには、誰かの助けが必要になります。心の中の「秩序」になる「誰か」がいること、モデルを持っていることがその人を孤独から救うことになるでしょう。

2つめ。その「誰か」は自分の到達目標でもあります。あこがれ。だからこそ成長があります。
3つめ。困難から逃げることなくチャレンジし成長してきた人は、次世代のルーキーに手を差し伸べることでしょう。今度は自分が誰かの目標になる番です。

このサイクルが私たちの社会を支えてきました。健全な循環です。心の支えとなる尊敬すべき人は、実在の人物でなくてかまいません。物語の中に見つけられます。いろいろな物語の中に、たくさんのモデルを発見すれば、人生はより豊かなものになることでしょう。
その最初のきっかけが絵本の読み聞かせになります。児童文学者の瀬田貞二氏は、幼児文学(絵本)の本質を次の言葉で表しています。

物語の主人公は、何かのきっかけにより今いる場所を離れ、誰か(何か)に会う。しかし再び帰ってきた主人公は、出発前と何かが変わっている。それを「成長」と呼ぶのです。
これは子どもの発達そのものです。お母さんを安全基地として、子どもは少しずつ一人で活動するようになります。やがて親元を離れ、友達をはじめとするさまざまな「モデル」と関わり、自分のアイデンティティを確立します。絵本はその原初体験になりえます。

※絵本から始まって、児童文学書、本へと、さまざまな物語に親しみ、多様なモデルを見つけてほしいものです。
「人に共感できる力」もまた大切な社会的スキルです。いじめ問題への対策でもあります。「弱いものいじめをしない」「弱い人を守ってあげる」。そのために「思いやり」の気持ちを育みたいものです。
私たちの園は異年齢クラス編成になっているので、年長が年少の面倒を見る、ということが日常的に行われています。

この4月に新しい子どもたちを迎え、各教室でさまざまなドラマがありました。集団になじめず泣く子に、年長さんがやさしく寄り添う姿。
「このくらいなら大丈夫?」と一人ひとりに確認して回る年長さんの姿。相手の目をしっかり見て、背をかがめ、お皿の角度も相手が見えやすいようにふるまっています。かつて自分が先輩から同じようにしてくれたことを、今度は自分が相手にやってあげるわけです。

「ごはん、これくらいでいい?」とひざを折って聞いています。先生が聞くとつい甘えたくもなりますが、そこは子どもの世界。先輩から聞かれるとつい「うん…」とうなづく。一度YESといったからには、責任を持って食べる。そんな所もありましょう。
上の写真で注目いただきたいのは、そうしたやりとりを、じっと見ている右端のお子さんの様子です。見てまねる、覚える。そして自分もやってあげる、やってあげたくなる。こうしたサイクルが、私たちの園にはあります。

以上のことは、言葉で教育するのは難しいものです。「小さい子にはやさしくしなさい」とスローガンを立てても、強制しては身につきません。形だけです。自分が体験し、その様子を観察し、何年か後で、実際にその場に自分が立ったとき…。自然と体が反応してしまう。これが本当の「学び」ではないでしょうか。
お年寄りに席を譲る青年とその様子をそばで見ていた主婦。人の役に立った青年は「誇り」を感じ、お年寄りは「感謝」をする。見ていた主婦は(気持ちのいいことね…)と「鼓舞」される。こうした「正の循環」が私たちの社会を支えています。そしてやや大げさな話かもしれませんが異年齢の集団の中に、その原初体験があるのです。
子どもの心を育む方法として「異年齢保育」は大変好ましいものであると、私たちは考えています。さらにこれは「いじめ」予防にもつながります。
文科省のページには、具体的ないじめ対策に成功した学校の取り組みが掲載されていました。ある荒れた中学校の改善例です。キーワードは「異年齢活動」でした。
この中学校は不登校やいじめなどの問題行動に苦しんできました。しかし下のグラフのように平成22年の6月のいじめ件数が激減しています。いったい、何があったのでしょうか?

答えは中学校入学前にありました。中1の最初から問題があるということは、小学校の段階ですでに問題があるはずです。そこで、校区にある2つの小学校と連携したのです。
その小学校では、小6と小1の異年齢活動を計画的に行ったそうです。給食、清掃、運動会、読み聞かせ、ほかさまざまイベント。すると6年生の行動が変化しました。平成20年から始まった異年齢活動の試みは3年目に花が咲き、平成22年のいじめ激減につながった、ということです。

地域にガキ大将がいなくなり、一人っ子も増えました。さまざまな年齢が入り混じった集団で遊ぶことで、子どもたちは多くの体験をしました。大人からいわれてやるのではなく、自分たちがルールを作り、役割をこなす。そこで責任感や自主性、小さな子ども(弱きもの)への思いやりを学びました。当然、けんかもあります。しかしけんかを乗り越えることで「仲直りする力」が身につくのです。


夏見台幼稚園・保育園の取り組みは間違っていなかった、と私は思いました。こうした研究は全国の学校に周知されています。最近は異年齢活動を行う小学校も増えているようです。幼児教育の現場にも、どんどん異年齢活動が広まればいいと願います。
楽観的であると、勉強や仕事での成功、円満な人間関係、健康で長寿であることが最近の心理学でわかっています。
マーティン・セリグマン(元アメリカ心理学会会長)の「ポジティブ心理学」を紹介しましょう。「成績不振のほとんどは能力不足からきているのではない。自分を悲観的に見る習慣からきている」とセリグマンは主張します。その裏づけとして、
などの調査から、楽観性は成功の鍵であると主張しています。(「オプティミストはなぜ成功するか?」講談社文庫 M・セリグマン著)。
どんなに能力がある人でも、悲観的に考える習慣がある人は続きません。逆に今はだめでも、楽観的に考える習慣のある人には可能性があります。努力を継続していくことができるからです。

再び「氷山理論」で説明します。例えば矢印「A」のように、他人から何か言われたときには言い返すことができます。相手が目の前にいますから。しかし家に帰れば一人です。そのときのつぶやきはどうでしょうか?(矢印「B」)「どうせオレなんか…」とマイナスのつぶやきをする習慣があると、自分自身に反論することは難しいのです。そして無意識に行っている「つぶやきの習慣」は、私たちの行動に大きく影響します。日常的にくり返されるからです。セリグマンはまず、自分の説明スタイル(つぶやきの習慣)に気づくことを強調しています。
物事を悲観的に考える習慣を持つ人は、その考え方をどんどん広げます。暗い方へと考えが進んでいきます。しかし楽観的に考える人は違います。悪い考えを「一時的」なものと切り替えます。

つまり「時間」と「空間」の認識を変えることです。悲観的な人は悪く考え出すとその考えをドンドン広げてしまいます。「また怒られた。私はなんてダメなのだろう。どうせ次も…」逆に楽観的な人は、失敗しても悪い考えを広げず、断ち切ります。「お母さんに怒られた。今回は失敗だった。きっと次は!」
反省(自己認識)は大事ですが、いつまでもクヨクヨすることはありません。すぐに切り替え、失敗をくり返さないことが大切です。
時間的には『今、ミスをした』。空間的には『私はここでしくじった』。こんな心のつぶやきを習慣化できることも大切な社会的スキルといえるでしょう。そしてここからが幼児教育の発達段階に関係してきます。
そばにいる人(主に母親)のつぶやきを、子どもがそのまま真似る傾向があることをセリグマンは証明しています。二世代、三世代にわたる膨大な数の日記、遺書、インタビュー等の分析から、母親と子どものつぶやきが似てくることがわかったのです。

大人は子どもの鏡といわれますが、特に幼児期の子どもは何でも真似ようとします。これは園のスタッフにも当てはまることです。私たちの心の状態が、子どもの楽観性・悲観性に影響を及ぼすことを忘れず、日々の保育・教育に携わりたいと考えています。
そこで、つぶやきを楽観的なものに切り替えるためのエクササイズをご紹介します。「3行日記」です。ハーバード大学の心理学者、ショーン・エイカーの著書にあります。(『幸福優位7つの法則〜仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論』(徳間書店)
毎日具体的によいことだけ3つ書く。それを3週間継続します。これだけです。するとつぶやきがポジティブなものに変わるのです。
私はそれに加えて「3行メール」を提唱しています。友達とメールで「今日のよかったこと3つ」をやりとりします。こうしたことが習慣化するとどうなるか?
毎日3つGoodを書くことが習慣化すると、不思議なもので、朝からつねにGoodを探すようになります。そして最終的に、悪い出来事にであっても、そのよい面を見つけられるようになります。Badの中にGoodを探すようになるのです。
というのも、物事はすべて解釈しだいです。過ぎてしまったことをいつまでもクヨクヨと思い悩んでも仕方がありません。失敗の中に希望を見出し、意味を見つける。次の行動につなげていく。逆境に強い人はこうした「心の習慣」を持っています。

変化の激しいこの時代を生きていく子どもたちには、こうした楽観性が大切です。右肩上がりに成長した時代は終わりました。まず私たち大人から、楽観的に物事を見る習慣を持つこと。それが子どもの心を育ちにつながるのです。
【園主講演「3行日記・3行メールのすすめ」(高校PTA対象)】
「自分で自分にNO!」という人がいます。自己肯定感が低い人です。自己肯定感は学校での勉強、部活動、人間関係に深く関わってきます。変化が早く、予測がつかない情報化社会では、挫折や失敗は避けられません。しっかりと自己肯定感を育みたいものです。
ではどうするか?今までこの冊子に書いてきたことはすべて「自分にYESと言える力」すなわち自己肯定感を育むことにつながりますが、最後に「自己肯定感を育むほめ方」についてまとめます。
『わかるということの意味』(佐伯胖著、岩波書店)の中に、ちっとも勉強しようとしない、やる気の出ない子どもの深層心理がわかりやすく表現されていました。やる気を出さない子どもは、次のことを否定されたくないのだというのです。それは、
というものです。「やる気」の根源です。しかし、こうした欲求が強いために、かえってやる気を出せなくなるというのです。どういうことでしょうか?少し長いですが引用します。
次に家庭内でのつぶやきです。
これを「自己原因性」といいます。ド・シャームという心理学者が提唱しました。「(自分が)変化の原因になりたい!」という、人間の根源的な欲求です。私は、自己原因性が満たされて初めて、自己肯定感は上がるのだと考えています。
私たちは自分が変化の「原因」になりたいのです。自分自身が変化の原因となり問題を乗り越えることで、本当の「自己肯定感」が育ちます。他人から言われて(ほめられて)変化したとしたら、それでは他人が「原因」です。本当の自信とはいえません。
「それでもかまわないじゃないか」という意見も聞こえてきそうですが、そうなると依存性の問題が出てきます。
「ほめる」ことにもコツがあるということを、ハイム・ギノット著『先生と生徒の人間関係』(サイマル出版会、絶版)を参考に考えましょう。「自己肯定感を育むほめ方」です。
ギノットは「ほめ言葉の危険性」と「効果的なほめ言葉」についてまとめています。結論からいうと「人」をほめず「物」をほめる、となります。

その人のコアな部分(性格・人格・能力)についてはほめず、周辺部分(行為・状況・努力の事実)をほめるということです。さらにIメッセージ(例:私は嬉しいわ!)で自分の感情をしっかり伝えることが重要です。

12歳のマーシャのお手伝いに対し、先生が2通りのほめ方をしています。左の「人格・能力」をほめる方は、「あなたはとてもいいことをしたわ」まではいいのです。マーシャが実際にやった事実・状況をほめています。しかし次の「有能な…」は好ましくないほめ方になります。その理由は次のようなものです。
そうしてマーシャは、不安から臆病になり、意欲的な行動をしなくなります。あるいは、つねに先生のほめ言葉を待ち続けるようになる…。では「行為・事実」をほめたときのマーシャの「心の声」はどうでしょうか?
ストレートに「中心(人格や能力)」までほめずに余韻を残すということです。後は子ども自身で考えさせ、自分で自分に評価が下せるように仕向けるのです。つまり「自分で自分にYES」ということです(「他人が自分にYES」というのではなく)。これが「自己肯定感」を育むほめ方になります。
次の例は、「親が原因になりたい」と無意識に考えている例です。自分の心をコントロールしようとしている下心が見透かされています。

私(園主:鳥居)は、キャリア教育の講師として全国の学校で講演をしていますが同じようなことはよく、小中高のPTA対象の講演会で聞きます。
無視されたり、「別に…」と軽くあしらわれたりするというのです。何でもかんでもほめまくるやり方をずっと続けていると、いつかは子どもにわかってしまいます。
ただ、幼児期には有効かもしれません。小さな子どもはお母さん方の喜ぶ顔を見ると嬉しくなり、親が望む行動をとったりします。

早期知能教育の常套句です。しかしそうしたほめ方には賞味期限があること、さらには「自己肯定感」を下げてしまう可能性があることも忘れてはなりません。子どもといえども、一人ひとりに尊厳があるのです。
そんな私自身にもこんな経験があります。ある日私が園庭で子どもたちが遊んでいるのを見ていました。すると、やんちゃなA君が駆け寄ってきました。手にはピカピカの泥団子を持っています。

私は「はっ」としました。見透かされていました。知らず知らず私はA君を自分のコントロール下に置こうとしていたのです。子どもの本能がそれを拒否しました。私はつぎのようにほめるべきだったのです。
こうしたほめ方には技術が必要だ、とハイム・ギノットはいいます。相手の主体性を尊重することをつねに心がける。子ども自身を「原因」にしてあげるほめ方です。
誰もが、何かの、「原因」になりたい。そうしたエゴとエゴのぶつかり合いの中で、子どもたちは育っていきます。しかし私たちの園では、まずはそうした子どもの「小さなエゴ」を育てていきたいと思います。
南部愛子名誉園長は、かつて行った「おもちゃ」に関する子育てセミナーの中で次のように言いました。

これはだめだけど、これはやってもいいよ、というものを作ってあげる。すると子どもの欲求が満たされるのです。
だめなことはだめ。これは家庭内のルールとして必要ですが、その代わりに、おもちゃで子どもを満たしてあげたいものです。



夏見台幼稚園・保育園には豊富なおもちゃが備えてありますが、それは、子どもを変化の「原因」にしてあげることであり、そして、本当に満足した子どもだけが意欲的になれることなのだと、改めて思います。そのようにして「自己肯定感」を育んでいくと、次は他人の「自己肯定感」にも敬意を払えるようになります。今度は相手を「原因」にしてあげる番です。こうして子どもは大人へと成長していきます。適切なほめ方は幼児期から。忘れずにいたいことです。

【園主講演「自己肯定感を育むほめ方」(高校教員対象)】
以上で終わりです。最後までお読みいただきありがとうございました。
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