H22.10.18(月)宮崎県立都城農業高等学校 

 都城農業高校校門にて

2ndステージ3校目は「都城農業高等学校」。
大正5年創立の伝統校だ。





キャンパス内に気持ちのよい空間があった。
2ndステージは天候に恵まれ
さわやかな午前の時間を過ごすことができた。



橋口校長先生と。
都城農業は女子バレー部が大変つよいと
校長先生から伺った。
しかしなかなか近隣にあるライバル校への苦手意識がなくならないとのこと。
これは「心」の問題である。
そんな彼女たちへのエールにもなれば、と思い
講演中に特に女子バレー部に呼びかけます、と
校長先生とお話しながら、私は講演に臨んだ。





講演半ばより
生徒さんの集中力が増したように思う。
私は熱を込めて最後までしゃべり続けた。



そこでうっかり忘れてしまった。
女子バレー部へのエールを、である。
そうしたら偶然、会場の片づけをしている生徒さんが女子バレー部だという。
追加でお話をさせてもらった。

聞くと、中学校時代に「とてもかなわない…」と思っていたライバルが
他校にいるという。
苦手意識だ。
目の前にいない相手は
心の中でどんどん大きな存在になる。
自分の心の中の「つぶやきの習慣」を変えない限り
太刀打ちできない。
今のみなさんの実力は確実に上がっているのではないだろうか。
後は心の問題。
つよい気持ちでがんばってください、と話し別れた。



ところで最近続けて
「日本人は努力を賞賛しすぎる」といった趣旨の番組を見る機会があった。
努力のプレッシャーに押しつぶされていると。
あまり「努力」を煽るな、ということをいいたいらしい。
しかしこれはちょっと違うのではないかと私は思う。

問題なのは「努力(プロセス)」ではなく
「成果(結果)」に焦点が当たっていることなのだ。
「もっとがんばれ!」というプレッシャーではなく
「もっと結果を出せ!」というプレッシャーなのだ。

がんばることは当たり前だ。
努力せずに道は開けない。
しかし結果にだけに縛られてしまうと…
当然、人生にはいいときも悪いときもある。
そうした波に一喜一憂せず、
やがてくるチャンスに備えて努力を怠らないこと。
これが大事だ。
つまりプロセスにこそ焦点を当てねばならない。

結果だけを目標にしている人生は悲惨だ。

たとえば、人生の究極の目標は「幸せ」であろう。
一般に人は、幸せになるために
できるだけよい学校へ進もうとし
できるだけよい会社に入ろうとし
できるだけたくさんお金を稼ごうとするのだろう。
これは「幸せ」とは学歴にあり、富にあるといった見方だ。
しかし本当にそうだろうか?

これはそもそも質問がおかしいのだ。

「幸せとは何か?(結果)」ではなく
「充実した人生とは何か?(プロセス)」と問わねばならない。

今から2500年前に古代ギリシャの哲人がそう述べている、と
セリグマンは著書に書いた。
本当にそうだと思う。

「本当の幸せとは何だろう?」と考えている限り
私たちは永遠に山のかなたに憧れ暮らすことになる。
そうではなく今がどうなのか?
この瞬間に真剣に取り組んでいるのか?
プロセスを楽しんでいるのか?
この点を今一度確認したい。

元読売ジャイアンツの桑田真澄投手は
38歳で大リーグにチャレンジした。



「なぜ?」と聞かれたときに桑田投手は次のように言った。

エースをやりたい、レギュラーをやりたいと
思っている人は
レギュラーでなくなると野球をやめます
しかし僕は
「レギュラー」をやりたいのではなく
ただ「野球」をやりたいのです。

レギュラーを「結果」
野球を「プロセス」と置き換えてみるとわかりやすいだろう。
物事の本質とは「プロセス」にある。
「結果」にはない。
プロセスは動的で、今まさに生きている。
結果は静的であり、なされた途端、それは死ぬ。

教育の役割とは
「結果重視」ではなく「プロセス重視」の子どもを育むことにある。
がんばるって楽しいな、と思える子どもである。

今、ほめる教育が主流になっている。
確かにほめることは大切だ。
しかしそのやり方を間違うと大変だ、と警鐘を鳴らすのが
スタンフォード大学(心理学)のキャロル・ドゥエック教授だ。
その著書「やればできる!の研究」(草思社)にあった中で
その主張を簡単にまとめると以下のようになる。



たった一字違いなのに
その影響は正反対だ。
能力ではなく、努力をほめる。
能力(を発揮した結果達成したこと)にフォーカスばかりしていると

 「できないと評価されない。ほめられない。
  これはちょっと難しそうだからやめておこう」

というように意欲が減退する。
チャレンジ精神が育まれなくなる。
そんな可能性をドゥエック教授は
さまざまな心理学の実験をベースに指摘している。

ところで今、幼児教育において「ほめる」ことは盛んに喧伝されている。
困ったことに
「ほめる」ことと早期知能教育がセットになっている。

 「できたね、天才!」

などと…
あまり「天才」という言葉を気安く使って欲しくないものだ。

もちろん、幼児教育において「ほめる」ことは大変重要である。
それは私も大賛成だ。

小さな子どもが何かに懸命に取り組んでいる。
それをじっと見守る親。
やがて子どもはそれをやり遂げる。
そのとき親は言う。

 「できたね!」
 「がんばったね、すごいね!」

ここまではいい。
しかし次のステップが大げさにくり返されることを懸念するのだ。


 「あなたは天才ね!」

大切なことは「ほめる」よりも「認める」姿勢であろう。



努力をほめる。
そうした姿勢を認めてあげる。
すると「プロセス志向」の子どもに育つ。
そんなことを思うのであるが…

戻る