船橋市の幼稚園 夏見台幼稚園・保育園(船橋市)
1.手で考える力 2.似たものを見つける力(イメージする力) 3.仲直りできる力
4.気分を言語化できる力 5.ごほうびを先延ばしできる力 6.自分で決める力(自律性) 
7.人を尊敬できる力 8.人に共感できる力 9.楽観できる力
10.自分にYES!と言える力(自己肯定感を育むほめ方)

10.自分にYES!と言える力(自己肯定感を育むほめ方)

「自分で自分にNO!」という人がいます。自己肯定感が低い人です。自己肯定感は学校での勉強、部活動、人間関係に深く関わってきます。変化が早く、予測がつかない高度情報化社会において、挫折や失敗は避けられません。しっかりと自己肯定感を育みたいものです。

ではどうするか?今までこの冊子に書いてきたことはすべて
「自分にYESと言える力」すなわち自己肯定感を育むことにつながりますが、最後に「自己肯定感を育むほめ方」についてまとめます。

『わかるということの意味』(佐伯胖著、岩波書店)の中に、ちっとも勉強しようとしない、やる気の出ない子どもの深層心理がわかりやすく表現されていました。やる気を出さない子どもは、次のことを否定されたくないのだというのです。それは、

私は変化の「原因」になりたい!

というものです。「やる気」の根源ともいえましょう。しかし、こうした欲求が強いために、かえってやる気を出せなくなるというのです。どういうことでしょうか?少し長いですが引用します。

教室の中でボクがやる気を出せないのは、教室の中のできごとのどれをとっても、ボクが原因になることがありえないからです。先生は「できのよい子」の応答だけで授業を進めています。たまにボクを指名するときは、それこそ誰にでも正答できる、とるに足りないことをボクにいわせるためだけです。

でも例外があります。ボクがトボケたことをいったり、フザケたり、となりの女の子にいたずらするときは、みんながこっちを見てくれます。笑ってくれます。おこってくれるのでもいいです。ボクが
原因となって人が怒り出すのを見るのも、少なくとも、自分は何かの原因となっていることを確かめられるのです。(『わかるということの意味』より。以下同様)

次に家庭内でのつぶやきです。

お母さんが「勉強しなさい」といっているとき、どうしてテレビばかり見ているか説明しましょう。

考えてみてください。お母さんが「勉強しなさい」といったあと、ボクが勉強しはじめたら、ボクの「勉強する」という行為の
原因は誰ですか?どう考えてもそれは「お母さん」ということになってしまうじゃないですか。

同じように、お母さんに「部屋の片付けでもしなさい」といわれた直後に部屋の整理をはじめたら、それはやはり「お母さんがやらせた」ことになるでしょう。お母さんが「スポーツでもしたら?」といったあとに、スポーツをやりはじめたら、その
原因もやはりボクではなく、お母さんということになるじゃないですか。 だからボクはお母さんのいうことを聞かないのです。

ハイム・ギノット著『先生と生徒の人間関係』(サイマル出版会、絶版)を参考に、「自己肯定感を育むほめ方」を考えましょう。

私たちは自分が変化の
「原因」になりたいのです。自分自身が変化の原因となり問題を乗り越えることで、本当の「自己肯定感」が育ちます。他人から言われて(ほめられて)変化したとしたら、それでは他人が「原因」です。本当の自信とはいえません。

「それでもかまわないじゃないか」という意見も聞こえてきそうですが、そうなると依存性の問題が出てきます。

「去年の先生はよくほめてくれたけど、今度の先生はあまりほめてくれないから勉強やめた!」
「前の上司はよくほめてくれたけど、新しい上司は暗いなあ。いいや仕事さぼっちゃえ!」

ギノットは「ほめ言葉の危険性」と「効果的なほめ言葉」についてまとめています。結論からいうと「人」をほめず「物」をほめる、となります。



その人のコアな部分(性格・人格・能力)についてはほめず、周辺部分(行為・状況・努力の事実)をほめるということです。さらに 
I メッセージ(例:私は嬉しいわ!) で自分の感情をしっかり伝えることが重要です。



12歳のマーシャのお手伝いに対し、先生が2通りのほめ方をしています。左の「人格・能力」をほめる方は、「あなたはとてもいいことをしたわ」まではいいのです。マーシャが実際にやった事実・状況をほめています。しかし次の「有能な…」は好ましくないほめ方になります。その理由は次のようなものです。



(先生は私のことを「有能」といったけど、いつもいつもできる自信はない。
期待を裏切ったらきっとほめてくれないのかもしれない)

そうしてマーシャは、不安から臆病になり、意欲的な行動をしなくなります。あるいは、つねに先生のほめ言葉を待ち続けるようになる…。では「行為・事実」をほめたときのマーシャの「心の声」はどうでしょうか?



(先生は喜んでいる。私はよい事をしたんだ。ようし!)

ストレートに「中心(人格や能力)」までほめずに
余韻を残すということです。後は、子ども自身で考えさせ、自分で自分に評価が下せるように仕向けるのです。つまり「自分で自分にYES」ということです(「他人が自分にYES」というのではなく)。これが「自己肯定感」を育むほめ方になります。

次の例は、「親が原因になりたい」と無意識に考えている例です。



自分の心をコントロールしようとしている下心が見透かされています。

私(園主:鳥居)は、キャリア教育の講師として全国の学校で講演をしていますが同じようなことはよく、小中高のPTA対象の講演会で聞きます。

「最近、ウチの子はいくらほめても…」

無視されたり、「別に…」と軽くあしらわれたりするというのです。何でもかんでもほめまくるやり方をずっと続けていると、いつかは子どもにわかってしまいます。

ただ、幼児期には有効かもしれません。小さな子どもはお母さん方の喜ぶ顔を見ると嬉しくなり、親が望む行動をとったりします。

「こんなこともできるなんて、天才!」

早期知能教育の常套句です。しかしそうしたほめ方には賞味期限があること、さらには「自己肯定感」を下げてしまう可能性があることも忘れてはなりません。子どもといえども、ひとり一人に
尊厳があるのです。

そんな私自身にもこんな経験があります。 

ある日私が園庭で子どもたちが遊んでいるのを見ていました。すると、やんちゃなA君が駆け寄ってきました。手にはピカピカの泥団子を持っています。

A君 「ねえ、見て見て!」

無意識のうちに、私の中に計算が働いたのでしょう。やんちゃなA君を思いっきりほめて、こちら側に取り込もうと…

私 「うわぁ!すごいんだね、キミは!」

するとA君は急に不機嫌になりました。

A君 「違うよ、すごいのはボクじゃなくてこの団子だよ!」

私は「はっ」としました。見透かされていました。知らず知らず私はA君を自分のコントロール下に置こうとしていたのです。子どもの本能がそれを拒否しました。私はつぎのようにほめるべきだったのです。
 


こうしたほめ方には技術が必要だ、とハイム・ギノットはいいます。相手の主体性を尊重することをつねに心がける。子ども自身を
「原因」にしてあげるほめ方です。

誰もが、何かの、「原因」になりたい。そうしたエゴとエゴのぶつかり合いの中で、子どもたちは育っていきます。しかし私たちの園では、まずはそうした、
子どもの「小さなエゴ」を育てていきたいと思います。

南部愛子園長は、かつて行った「おもちゃ」に関する子育てセミナーの中で次のように言いました。



どこでも叩いていいんじゃなくて、叩いていいものを作ってあげる。それがおもちゃなのです。やっちゃだめ!ということは、今その子がやりたいことなのです。だから『なし!』だけではいけないのです。

これはだめだけど、これはやってもいいよ、というものを作ってあげる。すると子どもの欲求が満たされるのです。

だめなことはだめ。これは家庭内のルールとして必要ですが、その代わりに、おもちゃで子どもを満たしてあげたいものです。

夏見台幼稚園・保育園には豊富なおもちゃが備えてありますが、それは、

子どもを変化の「原因」にしてあげること

であり、そして、

本当に満足した子どもだけが意欲的になれる

ことなのだと、改めて思います。

そのようにして「自己肯定感」を育んでいくと、次は他人の「自己肯定感」にも敬意を払えるようになります。今度は相手を
「原因」にしてあげる番です。こうして子どもは大人へと成長していきます。適切なほめ方は幼児期から。忘れずにいたいことです。


※園主講演「自己肯定感を育むほめ方」(高校教員対象)



1.手で考える力 2.似たものを見つける力(イメージする力) 3.仲直りできる力
4.気分を言語化できる力 5.ごほうびを先延ばしできる力 6.自分で決める力(自律性) 
7.人を尊敬できる力 8.人に共感できる力 9.楽観できる力
10.自分にYES!と言える力(自己肯定感を育むほめ方)